【ホ1-26】キツのナと、ホムシサル、アヤ


188
(原文池田 満 (著):「ホツマ縄文日本のたから」展望社 :p206-207 より)


アチヒコお

アチヒコさんを

ミレバ コガルル

見れば 焦がるる

ワカヒメの

ワカ姫の

ワカの ウタヨミ

和歌の 歌詠み

ウタミソメ

歌 御染

オモイカネテゾ

思い兼ねてぞ

ススムルお

勧むるを

ツイ トリミレバ

つい 取り見れば


(解説)

勅使のアチヒコさんを、見れば焦がれるワカ姫さん
和歌の歌を読み、その歌を布に染めました。
(ワカ姫さんが)思い兼ねて差し出した(その和歌を)
つい、手に取り、見れば
池田先生の解説では、「ウタミソメ」の「ウタミ」は歌をしたためる札とのこと。
このころ文字は書くものではなく、染めるものだったのでしょうか?

(解説を書くにあたり、 池田 満 (著):「ホツマ縄文日本のたから」の解説文を参考にしております)
(このページの記載に、間違い等があった場合の責はすべて 無宗だ にあります。)


(感想)

「ワカ姫の和歌の歌詠み」とありますが、
なぜ
「ワカ姫和歌を詠み」
ではないのかが、少し疑問です。
「の」の助詞の使い方。
和歌は、歌に決まっているのだから、和歌の歌は冗長ではないか?
ひょっとしたら、
たとえば俳句といえば芭蕉というように
長歌の形式はあっても、57577の和歌の形式は稀で、
これを普及させたのがワカ姫で、
「ワカ姫の歌」が、後に略されて「ワカ」と
呼ばれるようになったのか?
ちなみに、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の和歌の項を見ると

また、日本神話ではスサノオが詠った「八雲立つ出雲八重垣妻ごめに八重垣作るその八重垣を」[1]が最初の和歌とされることから、その初めの語句を取って八雲(やくも)ともいう。「八雲の道」といえば「歌道」のことである。
「八雲の道」と同じく「歌道」を表す言葉に「敷島の道」がある。敷島(しきしま)は大和あるいは日本を意味し、直訳すれば「日本の道」という意味になる。歌を詠むことが日本古来の文化であったことを示している。

と記載されていました。


(引用の了解を頂いた池田 満先生に感謝いたします。)
なお、このアヤのさわりは、うまやど さんのブログ:「オノコロ こころ定めて」の
記事「和歌山にて詠める」にて紹介されています。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です