
(原文池田 満 (著):「ホツマ縄文日本のたから」展望社 :p208-209 より)
このウタは
この歌は
カエコト ナラヌ
変えことならぬ
マワリ ウタ
回り歌
ワレも ミユキの
我も御幸(御行)の
フネに アリ
船にあり
カゼ ハケシクテ
風はげしくて
ナミ タツオ
波立つを
ウチカエサジと
打ち返さじと
マワリ ウタヨム
回り歌詠む
(解説)
この歌は
(一旦受け取ってしまったら)変更不可の
回り歌。(ワカ姫さんの気持ちを受け入れるしか選択肢はありません。)
私も御幸の船に乗っていたときに
風激しくて波立つを
打ち返さじと回り歌を詠みました。
えーと、新手の返品不可の悪徳商法ですか?(嘘です)
ワカ姫さんがアチヒコさんに渡した歌を再掲します。
キシイコソ
ツマお ミキワニ
コトノネの
トコに ワキミお
マツソ コイシキ
上から読んでも、山本山、
下から読んでも、山本山
というコマーシャルがあったと思いますが、
ワカ姫さんがアチヒコさんに渡した歌は、
前から読んでも、後ろから読んでも、同じなのです。
こういうのを回り歌と言ったのですね。
『わたしまけましたわ』
今なら、回文というのかな。
「回り歌」の「わ」が特殊文字ですね。
(解説を書くにあたり、 池田 満 (著):「ホツマ縄文日本のたから」の解説文を参考にしております)
(このページの記載に、間違い等があった場合の責はすべて 無宗だ にあります。)
(感想)
「回り」は「魔割り」に通じるのかなと、ふと思ったりして。
濁点の規則性が、まださっぱりみえません。
「返す」と「変える」は、昔は同じだったんですかね?
(引用の了解を頂いた池田 満先生に感謝いたします。)
なお、このアヤのさわりは、うまやど さんのブログ:「オノコロ こころ定めて」の
記事「和歌山にて詠める」にて紹介されています。